2020年6月 取材

深松組
代表取締役社長 深松 努
※役職は取材時のもの

ミャンマーPJに懸ける想いに応える
プロフェッショナルな支援

運命が導いたミャンマー初の日本人向けサービスアパートメントPJ。
地元からも大きな期待が寄せられている。
2017年9月着工

『今度は自分が助ける番』

ミャンマープロジェクト(以下、PJ)の概要を教えてください。

ヤンゴン市にRC造12階(+ペントハウス)建て延べ1万㎡の日本人駐在員向けサービスアパートメントを建設します。完成は2019年の予定。2015年11月に日本企業がミャンマー投資委員会(MIC)の投資認可を取得し、メジャー出資した初めての不動産開発計画として、同月25日に起工式を行いました。

ミャンマー進出のきっかけを教えてください。

4年ほど前に、日本に30年以上住んでいるミャンマー人のAさんとお会いしたことです。その頃の私は地元・仙台で東日本大震災のがれき撤去を陣頭指揮していました。そんな時に懇意にしていた鳴子温泉の女将さんから「会わせたい人がいる」と言われ紹介されました。Aさんに「発展途上にあるミャンマーを建設のプロの目線で見てほしい」と言われ、当時、現地の情勢イメージが悪い中、私は後先考えず、その場でミャンマー行きを決断しました。

決断が速いですね。

「会って5分でミャンマー行きを決めたのは、あなたが初めてだ」と、Aさんからも驚かれましたね(笑)。初めてのミャンマーで見た街並みは「夜は真っ暗、車はボロボロ」という印象でしたが、その1年後に訪問した時には見違えるように発展していました。そんな中、ミャンマーの発展を支えている日本人向けのマンションがなく困っている事情を聞きました。
さらに私の背中を後押しするような話がありました。Aさんのご両親は、かつて日本人墓地を世話し、イギリス軍から隠れている日本人に食事を届けてくれた方だったのです。日本人を救ってくれた方たちがミャンマーの発展のために私の助けを必要としている。その時、私の脳裏に浮かんだのは東日本大震災での一コマでした。

東日本大震災?なぜですか?

東日本大震災では、本当にいろんな人たちから助けられました。地震発生の翌日には神戸市水道局の方たちが被災地に駆けつけてくれ、仙台エリアの水道復旧を支援してくれました。工事中にお礼に行くと、水道局の方たちが「生きているうちに恩返しができてよかった。自分たちが被災した阪神淡路大震災の時は、たくさんの救援を頂戴した。だから、今度、日本のどこかで大きな地震災害があったら自分たちが助ける番だと決めていたんです」とおっしゃるわけです。私も同じ思いでした。「今こそ大震災で助けてもらった自分が、今度は助ける番だ」と思い、ミャンマーでのPJを決断しました。今回のPJは運命に導かれていたと思います。F&Pからたくさんのサポートを受け、現地法人(深松組ミャンマー)の設立時には資本提携をするなど、共同体として一緒に動いていますが、そこにも運命の力が働いていたように感じています。

神様がセッティング

F&Pと協業のきっかけは?

福田社長とは出身大学が同じで私が1年先輩。彼は大手ゼネコン入社後、仙台支社に配属され、仙台開催の同窓会で私と一緒に受付係をしました。豪快に飲んで「ガハハ」と笑う似た者同士。意気投合して以来、兄弟みたいな関係でF&Pの立ち上げ時もいろんな相談を受け、アドバイスしました。
私が4回目のミャンマー視察に行くため、成田空港で搭乗待ちをしていたときのこと。ふとみると、近くに福田社長がいたのです。F&Pもミャンマーで仕事をしているというから驚きました。私はPJ内容を説明しながら「任せるから頼むわ」とサポートを依頼。福田社長もふたつ返事で「わかりました」と。私も決断が速い方ですけど、福田社長のスピード感もすごいよね(笑)。ミャンマーでともに仕事をするよう神様がセッティングしたのかもしれません。

ミャンマーの発展に貢献

すごい巡り合わせですね。そうして始まったPJですが、改めていかがですか?

今回のプロジェクトはF&Pのサポートなしでは円滑に進められなかったと思います。実際、着工間もなく設計変更を余儀なくされ、さらに政権交代の影響で工事中止命令、再審査命令を下されました。そんなとき、日本政府(国交省)の支援で来日中のミャンマーの建設大臣へプレゼンをする機会を得ました。ここでも、困難な状況の時こそ燃える、似た者同士の福田社長とともに臨みました。おかげで翌年には審査完了し、建設許可取得に至りました。

異国の難しさがありながらも、熱意が伝わったのですね。

人の価値観って、なかなか変えられないじゃないですか。ましてや日本とミャンマーでは文化や法律も違いますからね。現場で我々の技術を取り入れることも、容易ではありませんでした。それでもミャンマーに常駐するF&Pの方が、地元のエンジニアに品質、工程、コスト、安全管理などを愛情深く丁寧に指導し続けてくれ、信頼関係が構築できました。地元企業の社長に「社員から、お金をかけてでも日本の高い技術をどんどん使いましょう、と提案された」という話を聞いたときは、我々の想いが伝わったと感じ、本当に嬉しかったです。

今後、どのような展開を考えていますか?

大きな夢としては、技術移転を進めてミャンマーの発展に寄与することです。首都直下や東南海地震が起きれば、海外からの支援なしでは日本の再起は困難でしょう。我々がミャンマー発展に貢献し「いざというときに助ける」と言ってもらいたい。今回築いた信頼関係をより強固にすることが、日本のためにもなると考えています。

ミャンマーでの起工式を記念して(2015年11月)
From 担当者

国際事業本部 アジア事業部 担当部長
兼 品質管理委員会
渡辺 秀明
(役職:2020年7月現在)

竣工当時のミャンマーの建築現場には、かなり技術的な遅れを感じたため、定期的な技術講習会を始めました。講習会には大勢の若いエンジニアが参加してくれ、ミャンマー発展へのエネルギーを感じられました。政権交代後の様々な変更に惑わされながらも、ビジネスパートナーとなってくれた地元企業の協力を得て無事に竣工できたことは喜びです。